なかったとにしないであげて

今、この瞬間の自分ではなく

何かに、誰かに、意識を向け続けているのなら、

それは自身からの逃避かもしれない

何を見たくないのだろう

何を感じたくないのだろう

必要以上に食べることで、

感じたことに蓋をして認めないつもりではいないだろうか

無意識に忙しい状況を作り出し

本当の想いを意識の外に追い出してはいないだろうか

そんなことをしても、それはなくなりはしない

気づかないだけで、見ていないだけで、

その感情はそこにあり続ける

そこにある、本当の想いをなかったことに

しないであげて

それは、あなたの本当の姿を思い出す

素晴らしい種なのだから

こんなにも辛いと感じるとは(3)

みなさん、こんにちは。

前回の続きをお話しします。

さて、「私」へと戻ってきて思ったことは、まだまだ恐れがあったのだなぁ、ということでした。私の中にある全ての痛みを癒し尽くした、とまでは思っていませんでしたが、こんなにも激しく、この肉体の次元へ表れるとは思ってもいませんでした。

これは、ひとえに宇宙(神)との分離の表われなのでしょうね。

大人の(霊的に)成長した自己は、自己責任をしっかりと取り、より自由に「私」を生きようとしますが、まだ成長しきれていない自己の一部は、そんなことは嫌だ!許さない!とばかりに、あの手この手を使って、それを阻止しようとします。

それが私の場合は、ヒーリングやエネルギーワークなどの、いわゆるスピリチュアルと言われることに関して背を向け、絶望的になり、自分を信じられない状態へと陥るという、霊的な成長への抵抗という形で表れたのでした。

今思うと、ヒーリングのアドバンスクラスを修了した後で、このような状態になったということは、ヒーリングを行うということに対して、改めてその想いや意図を問われていたのだと思います。

不完全なままの完全さを受け入れられるのか、宇宙に対して自己を偽ることなく、何も隠すことなく、オープンでいられるのか、意識を過去や未来に置き、今この瞬間の「私」から逃げてはいないか、全ては愛に通じていると信じられるのか、そんなことも問われていたように思います。

この経験があってからは、大きく道に迷うことはもうないだろう、という確信が生まれました。

これからも色々な経験があると思いますが、どんなことがあっても、もう出口のわからない状態になることはないでしょう。

楽しい時間は短く、辛い時間は長く感じる、なんてことを言いますが、この希望がない、やさぐれていた時期は、4~5ヶ月程ですが、体感としては、何年も、何年も続いているような、そんな感覚でした。

今は、瞬間、瞬間の自己を大切にし、分離のない、より高い自己へと成長することを、とても楽しんでいます。

こんなにも辛いと感じるとは(2)

みなさん、こんにちは。

今日は前回の続きをお話ししたいと思います。

さて、あの希望のない、やさぐれていた私とは、どんな状態だったかと言いますと、かなり自分勝手な思考の持ち主でした。

日々、起こること、何でもが人のせい、環境のせい、といった感じで、全ては自分の内にあるという、自身の真の力、生きる力を信じられず、ただただ独りよがりの、自己中心的な状態だったと思います。

今は、あの時の私がどんな状態だったのか、冷静に客観的に見ることができますが、当時は意識があんなにも外に向いていることに目をつむっているような状態だったので、自分がなぜこんなにも苦しいのか、辛いのかといったことを自問自答しながらも、その答えは見つかりませんでした。

そんな時、子供の頃に住んでいた場所に行きたい、そこを見てみたい、という気持ちが、ふと湧いてきました。

私は子供の頃、広島に住んでいました。現在は大阪在住の私は、広島にひとり旅に行くことを決めました。これは本当に、ふと思い立った、という表現しか当てはまらない感じなのですが、これがいいきっかけになりました。

もう、30年余り前に住んでいた場所なので、地形が少し変わっていた所もありましたが、自分が住んでいた場所にたどり着くことができ、通っていた小学校も見ることができました。どちらも昔よりキレイになっていて、時間の経過を感じました。ご多聞にもれず、今その場所に立つと、やはり子供の頃より小さく感じるものですね。校庭は本当に狭く感じました!

住んでいた家や、遊んでいた公園、通っていた学校など、ブラブラと見て回っていると、その頃に思っていたこと、抱えていた気持ちなど、色々と思い出されてきました。そして、自分がこの10年余り、様々なワークやセッションを重ね、その頃の本当の思いや願い、感情を思い出す体験をしてきたことも思い出され、その時、私はもう無力な存在ではないのだ、ということをハッキリと思い出すことができました。すると、泣けてきて、泣けてきて、一人泣きながら、広島の地を歩いていました。その体験が暗闇の中から出てくるきっかけとなり、徐々に外向きの意識から、内なる意識、「私」へと戻ってきたのでした。

思っていたよりも長くなりましたので、続きは次回にしたいと思います。次回はこの出来事の原因などについてお話し、最終回としたいと思います。