瞑想会「天恵と仁慈」のシェア

少し前になりますが、2/23のまほらさんの瞑想会に参加しました。タイトルは「天恵と仁慈」。


これは昨年の節分の瞑想会からはじまり、天地和合、飛翔、瑞雨、そして今回の「天恵と仁慈」という一連のつながりを持った瞑想会です。今回はこの一連の瞑想会の完結編となるものでした。


はじめに調和の瞑想というような、参加者の方々と輪になって意識の調整のようなことをしました。その時、天と地とつながっている自身を感じました。それは自分が天と地をつなぐ筒のような感じがして、ただただエネルギーが行き来する、そのような感じでした。
それは、何に抵抗するでもない、宇宙にサレンダーする、そのような感覚でした。今回はそのような感覚からスタートした瞑想会でした。


そして、全体を通して感じたことは、私たちは本来、愛そのものであるということを確信した、ということです。


まず、一つ目の瞑想で「内側に仁の質を見出す」ということをしたのですが、 個の側面から生まれる言動は、愛そのものからはじまる、ということを改めて実感しました。
私たちはエネルギー的につながり合った存在でありながら、「個」という側面も持ち合わせています。その個の側面であるひとりひとりの言動には、必ずしも愛に沿ったものではないと感じることもあるかと思います。その人の本質から生まれた言動は愛そのものであっても、個の側面として表現された時に、意図がネガティブなものになり、愛ある行為と感じられない時もあるかもしれません。


それでも、その人の本質から生まれた言動は紛れもなく愛そのものでる、と高次の存在たちの視点からはハッキリと見てとれました。


その後の瞑想でも、本来私たちは愛であり、光である、ということを何度も体験しました。自己の本質の光が、地球の輝き、天からの光と一体となり、その意識でこの世の中を見たとき、こんなに優しく愛情深いまなざしでこの世界をみたことはない!と感じました。


その時、もし、世界中の人が一斉にこの意識に達し、自己を、他者を、様々な出来事を、この意識から眺めることができれば、この地球上にある争いは一瞬にしてなくなるだろう、と感じました。


そして、私たちの魂はそのことをよく知っていて、私たちのニーズに沿った、この地球で成し遂げたいこと、表現したいことへと導いてくれているのだとも感じました。


色々なことが複雑に見え、難しく感じたりもしますが、そうさせているのは自我の部分で、自己の本質は変わらず輝き続けているのだと感じました。


高次のガイドのサポート受けて、高い意識、高い視点を体験することは、自己を知り、日常での意識を変えていく、とてもいい方法だと思っています。


この瞑想会に興味のある方はまほらさんのサイトをご覧ください。